用語解説集
海上コンテナについて
コンテナあれこれ
海上コンテナができるまで
コンテナという輸送手段は、19世紀には欧州や米国で実用化していました。当時のコンテナは輸送中の貨物をダメージから守る梱包方法の1つで、サイズや形状も統一されておらず、様々な個品を大量に運ぶという今日のコンテナとは異なったものでした。
1950年代に入ると、食料品や工業製品などの損傷や滅失、さらには盗難のリスクの高い貨物の輸送について、コンテナによる輸送が注目されるようになりました。
当初のコンテナ輸送は、タンカーやばら積み船などの甲板をコンテナ輸送のために改装したものでしたが、デンマークではコンテナの積載に適した構造の船舶が建造され、また米国では、コンテナを陸揚げ後そのまま貨車に積み替えて内陸の目的地まで輸送するという、今日の複合一貫輸送と言われる方法も行われるようになりました。
しかし、輸送容器としてのコンテナは、陸上輸送の為のコンテナが流用されましたが、1956年に米国において、海上輸送用のコンテナが製造され、その長さは35ftで、内航タンカーの甲板を改造して積載するというものでした。35ftというサイズは、当時の米国でトラック輸送に適した長さであり、陸上輸送を配慮したものでしたが、運送人が海上輸送用のコンテナユニットを準備し、顧客から荷物を集めるという今日のコンテナ輸送のビジネスモデルは、ここに確立しました。
規格の統一
その後、米国を中心に海上コンテナの規格の統一が進められました。1964年に国際標準化機構(ISO)がコンテナの規格を統一し、幅・高さは共通して8ft、長さは10ft、20ft、30ft、40ftの4種類のコンテナをISO規格としました。外寸が決まった後も、ISOによってコンテナの各部位の強度や固縛の方法などの規格を統一する作業が続けられ、1970年にコンテナに関する規格はすべて統一されました。
コンテナ規格の統一は、コンテナ輸送の発展に大きく寄与しました。
規格が統一されたことで、リース会社には、海上コンテナのリース事業を世界規模で展開する道が開けました。また、1960年代に普及したコンテナ専用船も、コンテナの固縛方法の規格統一がなければ、これほど急速に普及したか疑わしいところです。
この様に規格が統一された後も、より顧客のニーズに合ったコンテナが開発され、普及して行きました。
外寸については、10ftと30ftのコンテナは普及せず20ftと40ftが主流となりました。アメリカ国内のトラック輸送の需要に答える形で外寸の大型化は進み、アメリカへの輸出入貨物を中心に45ft、48ftの海上コンテナも利用されています。
コンテナの素材
素材については、当初のスチール製に加えアルミニウムの外板の使用が一部で進みました。リーファーコンテナは冷却装置が重いため、コンテナの総重量を軽減するためにアルミ製の外板が使われてきました。ドライコンテナは外板の補修性が高くまた安価であることからスチール製が主流ですが、自動車部品や機械などの重量の重い貨物を積載するために、コンテナの自重を軽くする目的で外板にアルミニウムを使用したアルミドライコンテナも利用されています。
貨物の性質や積み下ろしの利便性を考慮して製作された特殊なコンテナには、以下のものがあります。
リーファーコンテナ
コンテナ本体に温度調節ユニットを備える。
オープントップコンテナ
天井のないコンテナで、背高貨物を積載する。
タンクコンテナ
液体や気体を充填するタンクを枠組みで囲ったもの
フラットラックコンテナ
ドライコンテナから四隅の壁と天井版を外し、サイズのはみ出る貨物や、ドライコンテナには積み込み作業の難しい長尺貨物などを積載する。
フラットベットコンテナ
フラットラックらさらに四隅のポストを取り除き、船上に敷き詰めるなどして、通常コンテナ船では積載の難しい大型の機械や特殊貨物を積載する。
これらの特殊コンテナは、荷主が保有し、自らの貨物輸送だけに使用するSOC(Shippers’ Own Container)という保有形態もあります。
海上コンテナ輸送の歴史
コンテナ輸送は、米国人でトラックの運転手をしていたM・マックリーン(Malcolm P. McLean)が、1940年に自ら所有するトレーラーを海上輸送に転用したことが始まりとされています。マックリーンはトラック事業を売却した資金を元手に大手外航船主のWaterman Steamship Co.を買収し、その子会社で国内航路を営んでいたPan Atlantic Steamship Co.が運航するRo/Ro船に58台のトレーラーを積載し海上輸送をしました。
コンテナのサイズは、当時アメリカの多くの州で採用されていた道路運送車両規制の許容限度である高さで8ft6inとし、幅8ft、長さ35ftでした。
コンテナ船の歴史
マックリーンは6隻の貨物船を、35ftのコンテナを226個積載できるコンテナ仕様に改装し、1957年10月にその第一船GatewayCityをニューヨーク/ヒューストン間の航路に就航させました。翌58年にはニューヨーク/プエルトリコ間の外航航路にFairlandを就航させ、史上初のコンテナ船定期航路となりました。同社は60年にPan Atlantic Steamship Co.の社名をSea-Land Service Inc.に改め、翌61年にはパナマ運河を経由して、大西洋岸と太平洋岸の米国沿岸を結ぶインターコースタル(内航沿岸)航路に、64年にはシアトル/アンカレッジ間の航路に進出しました。これに続いてMatson Navigation Co.は、米太平洋西岸/ハワイ航路に参入しました。
このようにアメリカにおいてコンテナ航路が生まれ、拡大して行きました。
外航航路進出から複合一貫輸送まで
1966年4月、Sea-Land社は北米東岸と欧州間の北大西洋航路に35ftコンテナを226ユニット積めるコンテナ船4隻を投入してウィークリーサービスを開始しました。その後、欧米船社は20ftコンテナを導入し、急速に定期船航路のコンテナ化が進みました。Sea-Land社は、1966年7月以降、沖縄、フィリピン、ベトナムへの軍用物資輸送にコンテナ船を投入し、12月には商業ベースの定期配船を太平洋航路で開始しました。
一方、わが国では日本郵船、昭和海運、Matson Navigationが提携した3社グループと、商船三井、山下新日本汽船、川崎汽船、ジャパンラインの4社グループが各々コンテナ化に取組み、1968年8月にわが国の外航コンテナ船である日本郵船「箱根丸」(859TEU)が日本/カリフォルニア州太平洋航路に就航しました。
欧州航路では、まず豪州と欧州を結ぶ航路が1969年OCL、Nedlloyd、Hapag-Lloyd、CGM、LloydTriestino、Shipping Corp. of New Zealandの6社が連合(Anzecs)によりコンテナ船によるサービスを始めました。欧州/極東航路ではOCL、BenLine、日本郵船、商船三井、Hapag-LloydがTRIOグループを結成し、1971年からサービスを開始しました。
1970年代後半から太平洋、大西洋、そして極東・欧州を結ぶ東西航路でコンテナ化が進み、極東と中南米、極東とアフリカ、北米と中南米などの南北航路にもコンテナ化が進み、今日では個品輸送の大宗がコンテナ船によって運ばれています。
コンテナという規格化された輸送手段は、港から港までに限定されていた海運業界に革命をもたらしました。コンテナ船から下ろされたコンテナは、そのままトラックや鉄道で顧客の戸口まで運ぶことが可能となり、いわゆる複合一貫輸送を実現する道を開きました。
PAGE TOP