用語解説集
米国海事法について
初期海事法が制定された背景と目的
米国海事法は、Shipping Act 1916まで遡ることができます。
第一次大戦前の米国は、所有船腹数こそ世界第2位(首位は英国)でしたが、自国商船は世界の輸送量の10%を運ぶに過ぎず、造船業も英国に依存していました。第一次世界大戦で、米国は直接の戦禍を免れ連合国に莫大な物資を輸出しましたが、それらの輸送は専ら輸入国の船舶で運ばれました。そのため多くの商船が軍事徴用され船腹受給は逼迫し、海上運賃は戦前の30倍近くまで跳ね上がるなど、大きな影響を受けました。
この様な状況の下、米国政府は海事法(1916)を制定し、
①政府が主導して商船を保有運航する会社を設立
②運賃の決定を含む海運による通商に規制を設ける
③既に海運会社と輸出者の間で結ばれた公正でない契約や、米国の通商に損害を与える恐れのある契約を破棄または修正する
ことなどを定めました。
つまり、初期の海事法の目的は、急速に伸長した貿易量や国力に見合う海運業を政府主導で保護・育成することでした。
この海事法が制定されるまで、世界の主要航路は、英国を中心とする海運会社が、海運同盟を結成し運賃や配船数を調整していました。米国海事法(1916)の制定は従来の閉鎖的海運同盟のあり方に変革を迫り、海運同盟に参加しない盟外船の参入を容易にする素地を作ったという点で、後の世界の海運業界に大きな影響を与えました。
米国海運業の管轄の変遷
第一次大戦後の米国海運業は国営化の道を歩みましたが、自国船員や造船業の高コスト体質は解消せず巨額の損失を計上しました。1920年代末には民営化の方針へ切り替えられ、船舶も民間企業に払い下げられました。1936年に改正された商船法(1936)では、民営化の弊害を除くため、反トラスト法を徹底し自国海運業を強化育成する機関として、連邦海事委員会(United States Maritime Commission=USMC)を商務省から独立した大統領直属の機関として発足させました。しかし、1950年にUSMCは廃止され、その機能はFederal Maritime Board(FMB)に移行、再び商務省傘下に置かれました。
新米国海事法の発効
第二次世界大戦後、国際貿易の取引量は飛躍的に増大しました。
政府は自国の荷主を保護して米国産業の発展を図ると同時に、一定の自国籍船を確保するという国防上の要請を満たすために、1961年に従来のFMBは、外国企業を含む海運業を規制する独立行政機関のFederal Maritime Commission(FMC)と自国籍の船舶と船員を確保し育成することを目的としたMaritime Administration(MARAD、商務省管轄)にその機能を分け、海運に関する規制と育成を分離しました。
さらに、1960年代から急速に普及し始めたコンテナ船による個品輸送に対応するため、海運企業による不当な独占を排除して荷主を保護する目的で、新米国海事法が1984年に発効しました。主な改正点は、従来の海運同盟の存続は認めつつも、荷主ごとに差別的な扱いをさせないために二重運賃制を実質的に禁止しました。また、届け出運賃以外の運賃の取り決めとして、船社または海運同盟と荷主が数量割引運賃契約(Service Contract=S/C)を結ぶことを認め、同時に同盟加盟船社が同盟の運賃に拘束されず独自の運賃を設定できるよう独自行使権(Independent Action=I/A)の導入を同盟に義務付けました。
1984海事法は1998年に改正米国海事法(Ocean Shipping Reform Act=OSRA)として再度改正され、FMCへの運賃届出制を廃止し、非公開数量割引運賃契約(Confidential S/C)や同盟加入各船社との個別S/Cの締結を認めたため、北米航路に関係する海運同盟は存在意義を失い解散しました。また同法では、NVOCCとOcean Freight Forwarder(=OFF、海上貨物取扱業者)を海上運送仲介業者(Ocean Transportation Intermediary=OTI)として定義し、位置付けを明らかにしました。
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